この聖杯戦争は何かが違う…

ジャンヌ・ダルクRuler

CV 坂本真綾

聖杯大戦の監督役として大聖杯によって召喚された「裁定者」の英霊。

ジャンヌ・ダルクRuler

14世紀から15世紀にわたってイングランドとフランスの間で繰り広げられた「百年戦争」。いつ終わるとも知れぬこの戦いは、とある少女の出現によって形勢がフランス有利に傾いた。突如として歴史の表舞台に姿を現し、数々の功績を打ち立てた「オルレアンの乙女」。世界でもっとも高名な“聖女”ジャンヌ・ダルクである。

当時、ドンレミ村で暮らしていた素朴な村娘のジャンヌは、ある日、神の声を聞いた。「イングランド軍をフランス領から追い払い、王太子をランスへと連れて行って、フランス王位に就かせよ」と。その声に従い、ジャンヌは王太子シャルル7世に謁見するために、17歳で故郷を発った。もちろん、ただの村娘がいきなり王太子に会えるはずがない。それでもジャンヌは、「オルレアン近郊での戦いでフランス軍が敗北する」という予言を的中させる奇蹟を見せ、周囲にその力を知らしめた後、王太子と謁見する機会を得た。崩壊寸前だったフランス王国にとって、“奇蹟に導かれた聖女”は救いの旗手であり、唯一の希望に見えたことだろう。装備一式と馬を与えられたジャンヌは、派兵軍への同行を許された。

そこから、ジャンヌの快進撃は始まった。農夫の娘だったジャンヌは学問に明るかったわけでなく、当然ながら戦闘訓練や戦術・戦略について学んだことなどない。それにも関わらず、陥落寸前だったオルレアンに派遣された彼女は、兵士たちの士気を高めて、オルレアンを包囲していたイングランドを撃退。さらに、いくつかの重要な戦いにおいて彼女に指揮された部隊は連戦連勝を重ね、ついにフランス軍の劣勢を挽回するに至った。その後、ジャンヌが最初に受けた啓示のとおり、王太子シャルル7世はランスの大聖堂で戴冠式を執り行い、フランスの王位に就くのだった。

しかし、ジャンヌの栄光はここから陰りを見せていくことになる。1430年に参加したブルゴーニュ公国軍との戦いで、敵の援軍の攻撃に晒されたジャンヌは矢を受けて負傷し、捕虜になってしまったのだ。それまでの慣例であれば、身代金を払うことで捕虜の引き渡しを要求し、解放してもらうことができた。しかし、フランスは救国の英雄であるジャンヌを見捨てた。代わりに身代金を支払って身請けしたのは、なんとかつての敵国であるイングランドだった。今度はイングランドの捕虜となったジャンヌは、異端審問裁判にかけられることとなる。

異端審問裁判は始めからジャンヌを貶めるよう仕組まれていた。弁護士をつけることも許されず、物的証拠も法的根拠もなしに、彼女は異端者であると決めつけられたのだ。だが、ジャンヌは一流の神学者相手の問答においても一歩も引かずに答弁し、相手を呆然とさせる一幕もあったという。それでも、裁判記録の改ざんなどの不正が公然と行われた結果、ジャンヌの処刑は揺るがぬものとなった。信じていた者に裏切られ、神の敵として貶められ、人としての尊厳を奪われてなお、彼女は神への愛、そして人への愛を失わなかった。もっとも苦痛に満ちた処刑法である火刑に処される際も、誰を恨むことなく炎に身を任せた。

サーヴァントとなって現界したジャンヌは、「自分は“聖女”などではない」と幾度も口にしている。だが、人々がジャンヌを“聖女”として崇めるのは、彼女が神の啓示によっていくつもの奇蹟を起こした存在だったからではない。自分を貶めた人々にまでジャンヌが注いだ無償の愛。それこそが、彼女を“聖女”たらしめていたのではないだろうか。