CV 内山昂輝
聖杯大戦の監督役として聖堂教会から派遣された神父。
セミラミスのマスター。
時は江戸時代初期の1637年。島原藩主である松倉勝家による圧政と重税に喘いだ農民たちの不満は、臨界点に達した。そこに、弾圧・迫害されたキリシタンたちの不満も加わり、民衆の怒りは「一揆」という枠を越えた大規模な「叛乱」へと発展した。後世に「島原の乱」として伝えられるこの叛乱を主導したと伝えられているのが、当時十代半ばの少年だった天草四郎時貞である。
幼い頃から学問に親しんできた天草には優れた教養があり、またカリスマ性があった。そんな彼は、ある時から盲目の少女に触れただけで目を見えるようにしたり、水の上を歩いて渡るなど、様々な奇蹟を起こし始める。聖人のごとき業を見せた天草は、キリシタンや農民たちに崇められ、神格化されていった。そんな彼が、やがて叛乱軍の精神的支柱となっていったのは、ごく自然な流れだったであろう。天草が率いる叛乱軍は、攻め寄せる幕府の討伐軍を幾度も撃退した。だが、その奮戦も長くは続かず、最後は兵糧攻めに遭って叛乱軍は瓦解。3万7千人の民衆と共に天草もその命を散らした。この悲劇に見舞われた天草は、ひとつの悟りを得るに至る。たとえ一個人が救われても、どこかで誰かが虐げられ、死んでいくのでは意味がない。ならば、あらゆる悪が駆逐され、万人が幸福である世界を手に入れることで、人類全体を救うしかない――と。
天草は、「第三次聖杯戦争」において、アインツベルン陣営にルーラーとして召喚された。この戦いでは順調に勝ち進み、聖杯獲得まであと一歩というところまできたものの、マスターが死亡したために敗退してしまう。だが、偶然が生んだ奇蹟によって、大聖杯に触れた彼は受肉を果たすことに成功。それ以来、半世紀以上にも渡って人として生きていく中で、天草は“人類救済”の道をついに見出す。すなわち、大聖杯によって可能となる第三魔法「魂の物質化」である。「魂の物質化」によって、すべての人類を不老不死の存在として新たに書き換えれば、欲望も生まれず、争いも発生しない――。その野望実現に必要な大聖杯を獲得するため、天草は受肉してからの数十年を、謀略に費やした。
天草が考える人類救済は、たしかに「種」としての“人類”を救うものであったかもしれない。しかし、“人間”とは喜怒哀楽、愛と憎悪といったいくつもの相反する要素と切り離せない存在。彼らは不老不死となったことで、薄れた我欲と原初的な喜びや悲しみしか持たない“先に進まない生命体”となる可能性もある。
だが天草はまだ見ぬ未来のリスクよりも、現実において無惨に死に続ける人類の救済を取った。あのホムンクルスたちのように、己の役割を慎ましやかに全うする生命体であれば、それで希望は十分にあると信じたのだ。幸福な感情さえ残るのならば、未来を先取っても変わりはないはずだ、と。かつて虐げられた者たちのために命を捨てて戦った天草の理想を支えていたのは、紛れもない“人類への愛”だったのである。