CV 置鮎龍太郎
ユグドミレニア一族の魔術師ダーニックと契約した「槍兵」の英霊。
基本的には人格者であるが、一旦敵と見なした者は苛烈に対処する。
かつてワラキア公国(現ルーマニア南部)を治めた君主・ヴラド三世は、オスマン・トルコ帝国の侵略から祖国を守るため戦った武人である。その気質は、国内を荒廃させた貴族たちを粛正するなど厳格だった一方、清貧を旨とし、主へ愛を捧げる敬虔なキリスト教徒でもあった。「キリスト教世界の盾」とまで呼ばれた英雄なのだが、「 串刺し公ヴラド 」という二つ名と、その苛烈なエピソードの方が有名だろう。
1462年、15万ものオスマン・トルコ軍の侵攻を迎え撃ったヴラド三世には、たった1万しか手勢がいなかった。その際、優れた軍略の持ち主であるヴラド三世は、焦土戦術とゲリラ戦を指示して徹底抗戦に出た。ヴラド三世の戦いぶりは見事なものだったが、それ以上にオスマン・トルコ軍を戦慄させたのは、ヴラド三世の冷酷無比な行いだった。彼は倒した敵兵の死体を串刺しにして、城塞周辺に屹立させたのだ。長さ3キロ、幅1キロもの串刺しの林は、勇猛なオスマン・トルコ兵の士気を完全にくじき、軍を引き上げさせたという。
ヴラド三世の父・ヴラド二世はかつて神聖ローマ帝国竜騎士団の騎士だった。それにちなんで、ヴラド三世は「 竜の息子 」という称号を名乗っていたが、「串刺し」のあまりに残酷な行いから、いつしか「ドラキュラ」は「悪魔」を意味する言葉として定着していった。そして後世、怪奇小説『ドラキュラ』にて、ヴラド三世は吸血鬼ドラキュラ伯爵のモデルとされるに至る。あらゆる手段を尽くして侵略者を退けた救国の英雄は、今や世界最高レベルの知名度を誇る怪物「吸血鬼」へとイメージをねじ曲げられてしまったのだ。
広く民衆に広まった吸血鬼像は、ヴラド三世の霊基に深く刻み込まれ、身体を吸血鬼そのものに変貌させる宝具「 鮮血の伝承 」へと昇華した。だが、主を愛するヴラド三世は、自身に植え付けられた不名誉なレッテルを激しく憎み、汚らわしい伝説を歴史から消し去るために「聖杯大戦」に参戦した。たとえ敗北しようとも、この宝具だけは使わないという強い決意。それは、マスターであるダーニックの令呪発動という暴挙によって、たやすく打ち破られた。あれほど憎悪した吸血鬼と化して無惨に消滅した最期は、ヴラド三世にとって最大の悲劇だったと言えるだろう。